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劇団献身主宰の奥村徹也のブログ。愛想を振りまくtwitterと違い、1日平均アクセス数3の当ブログでは好きなこと、書きづらいことをたくさん書きます。右の猫がかわいい。
2010年が終わる
2010年12月29日 (水) | 編集 |
奥村です。

最近、早稲田演劇の界隈で

「今日も学食で一人だった」
「大学に友達がいない」
「留年にリーチがかかっている」
「マイミクが9人しかいない」
「ツイッターを誰もフォローしてくれない」

などということを面白おかしく言う連中が増えた、と感じます。ちょっとしたブームのようにも思います。

そして僕は思います。


「このブーム、俺が作ったな」


思えば「カラーボール野球、死ぬ気で。」を上演したのが今年の2月。僕はこの芝居で「友達がいない」「自意識過剰だ」「サッカー部嫌い」「自分は天才だと思うことにしている」などなど、高校時代の自分を暴露しました。

そしてこのブログも何度となく炎上、閉鎖、企画倒れしながら、そこそこいろんな人に見てもらいました。

そうして、僕の悲惨な自虐がなんだか「ちょっとおもろいこと」だと思われるようになりました(自意識過剰な気もします、すみません)。

ブログのカテゴリで奥村をクリックすればわかりますが100を超える記事の9割が自虐です。


でも、最近はみんな自虐していて僕の記事も「なんかよく見かけるやつ」になってきたと思います。

気持ちとしてはツイッターで最初に「~なう」を使った人と同じだと思います。「~なう」を考えた人も今「~なう」と呟いたところで「あ、なうね。うん、ツイッターの定番ね、あるある」と流されているはずです(クロマティ高校でそんなようなのありましたね)。

まあ何が言いたいかと言いますと、それまで僕は「こんな恥ずかしい話を暴露する奴は他にはいない」と思っていたのです。それにより他者との差別化を図り、なんとなく安らいでいました。
しかし、今やこの記事の面白みは一般的になり、薄らいできました。


というわけで長く続いた奥村ブログもこれにて一旦閉鎖したいと思います。

また何か面白くて新しいものを思いついたら再開します。が、一切は未定です。
新しいものと言ってもこういった自虐自体、大槻ケンヂのパクリです。僕のブログを読んでいる時間があったら、ぜひ「グミチョコレートパイン」を1ページでも多く読んでほしいです。


なんだか突然の閉鎖発言、どなたか心配してくださるでしょうか?心配してほしいです、人に気にかけてもらうのだけが生きがいです。でも聞いてくれたら僕は喜んでこう答えます。

僕は大丈夫です。憂鬱で毎日頭をかきむしりながら目覚める日が続きますが、こういう憂鬱は常日頃からですし、死にたいと思うのもしょっちゅうです。

ただこの間初めてツイッターを覗いて、あまりにもみんな「死にたい」とか連呼しているのを見て嫌になったのです。
死にたい、って簡単に言うなよ。せめて笑わせろよ。笑わせようとしろよ。心配だけさせるんじゃねえ、とものすごく嫌な気分になったのです。
「しにたい」とツイートして何かいいことあるんでしょうか?人に心配してもらいたいのはわかりますが、でも人生はギブアンドテイク、死ぬ気もないくせに無責任に「死にたい」と呟くなら全裸でイキイキとダンクを決めている動画を同時にアップするべきだと思うのです。「こいつ絶対死なねえやろ」と笑わせないとだめです。じゃないと自分の一人勝ちじゃないですか。

でも僕もそういう人たちとあんまり変わらないんじゃないかなーって思ったら、気持ち悪くなりました。


みんな「死にたい」とか呟くのやめましょう。笑えません。
「クラスに友達が一人もいないwww」とかもやめましょう。興味ありません。

そこで完結するのってすごくもったいないですよね。
ツイートして楽になっちゃうんすよ。ブログも一緒です、愚痴書いて楽になってる。そして友達がいないことさえもおもしろとしてキモい合理化をしてしまっているんです。

僕も合理化していました。

これからはそういうストレスをここに吐くのではなく「どうやったら友達ができるのか」「どうやったら大学をきちんと卒業できるのか」「どうやったらこの憂鬱から抜け出せるのか」そういう考え方にシフトしていきたいです。

そのためにはブログがどうしても邪魔です。
甘えてしまいます。なんとなく不特定多数に自分の今を知ってもらい満足します。

僕はもっと格好良くなりたいので、この格好悪いブログは閉鎖します。2011年には持ち越しません。


それではみなさん、さようなら。

今までありがとうございました。


でも、寂しくなったら電話します。



セックス!!!!!
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てあとろ50'での思い出~その7
2010年12月27日 (月) | 編集 |
約二時間の電車の旅を終え、河口湖についた
思えば村松と打ち解けたのはこの頃からだった。
中高の演劇部の地獄みたいな合宿も河口湖だった。
河口湖といっても湖の側の開けた土地でやるのではなく、富士山側のガチで樹海の中にある学校の施設でやっていた。
コンビニなどは勿論無くて夜にフラッと外に出ようものなら帰ってこれないような場所だった。
その中で三泊四日の地獄みたいな稽古稽古稽古。軽くトラウマであるが、でも私は何気に合宿が好きだった。Mなのかもしれない。
そんなこんなで私は河口湖が好きだった。富士山きれいだし。

てあとろは樹海の中では無く、ちゃんと河口湖湖畔にある施設でやっていた。
河口湖が近い。私と村松はテンションが上がってはしゃいだ。
「ぅおっしゃー!夏休みじゃー!」
河口湖の湖畔でアホみたいにはしゃいだ。その瞬間、バリッと音がした。
そしてさっきまではしゃいでいた村松が「俺、もう帰りたい」と言い出した。何事か。
なんと、村松のはいていたGパンのお尻の部分が裂けていた。
私はとりあえず爆笑し、村松は持っていた養生テープで応急処置をした。
そうこうしているうちに、中舘さんもやってきた。
また、はしゃぎモードに突入した。
バリッ!
足元に違和感を感じる。
見たら、はいていたサンダル(結構気に入ってた)が壊れていた。
「あ、私も帰りたい」
村松と中舘さんに爆笑されながら、私は村松が持っていた養生テープで応急処置にもならない応急処置をした。
てあとろ50'での思い出~その6
2010年12月27日 (月) | 編集 |
そんなこんなで春休みは全て演劇に消えていった。
そして4月。新歓。
我々の代は三人。このままだとてあとろ50'35年の歴史が途絶えてしまう。
とにかく新歓を頑張らなければならない。
でも私はただなんかアタフタしていた記憶しかない。
目まぐるしく日々は過ぎてゆき、てあとろ50'本公演「ばってん」の本番がやってきた。
初どらま館だった。
そして私は金髪オバケになっていた。キューティクルが死滅した。
しかし、その年は新人がたんまり入ってくれた。13人も入ってくれた。
9月の試演会を目指してみんな頑張っていくのだ。
しかし、私はあまり稽古場に顔を出せなかった。
7月8月と芝居に出ていたからだ。
8月に出たカナデコには舞監補に村松がついていた
そしてカナデコの直後にてあとろの合宿があった。「直後だからなぁ疲れてるしなぁ」と思い不参加の予定だった。
が、途中参加する事にした。村松も誘い、歯磨きセットを忘れたモンゴルさんへの歯磨きセットを持ち
いざ、河口湖へ
村松との電車二人旅が始まったのだった。
年末だぜ
2010年12月22日 (水) | 編集 |
奥村だぜ。

僕は文章中に「~だぜ」を多用します。

なぜ使うかと言うと「~だぜ」がとても格好悪いからです。日常生活で使ったとしたらそれはもうギャグでしかありません。
「これから稽古だぜ。今日も頑張るぜ!」
「お腹減ったぜ。ペペロンチーノが食べたいぜ!」

こういうセリフを言えちゃうのってもう少年ジャンプの中だけだと思うんですよね、うん。たぶん僕が言ったら言葉だけが浮き、僕のひょろっちさがバレバレになっちゃうと思うから。

まあいつか言いたいです。
この言葉をナチュラルに使える奴がいたら、そいつは少年ジャンプ並みに格好いいんです。



一体僕は何を書いているのでしょうか?
意味不明な記事を書いてしまいました。少年ジャンプなんかワンピースといぬまるだし以外読まないくせに。

最近はやっぱり憂鬱で仕方ありません。
ブログも何度も書いたのですが「こんな記事誰が読むんじゃあああ!」と削除削除削除の嵐。

もう年末ですか。今年が終わります。
このまま終わったら嫌だなあ。
そろそろ一年が終わる。
2010年12月17日 (金) | 編集 |
このブログもそろそろ一周年を迎えます。早いものですね。

冬合宿も企画倒れになりそうで、バイト漬けの年末になりそうです。ピザの宅配に個性はありません。以前、舞台美術研究会の公演で「代替が効く仕事は空しい」とかそういうことを言っていました(うる覚えですみません)。

あれはまったくその通りで、ピザ屋のバイトも然り、あんな道覚えてバイクでピザを届けるだけの仕事なんて誰でもできます。別に僕でなくとも、誰でもできるのです。それが辛い。俺はいったい何をやっているのだろう、と憂鬱になります。
だからバイトの人たちは宅配のタイムを競い、自分しか知らない裏道を発掘することに労を惜しみません。「根津まで10分で行ってこれたぜ。この道が速いんだよ」などと本当にくだらない話をします。しかし、そこぐらいしかオリジナリティーを出せないのだから仕方がない。

といってもまあ大体どのバイトもそうです。居酒屋もテレアポもロイホも吉野家も、マニュアル覚えれば誰だってやれます。

それがバイトの特徴で、それが辛いところですよね。


きっと就職したら、マニュアルが一番ではなくなるのでしょう。というか仮にマニュアル通りでOKだとしてもそんなので60歳まで働いてられるかっつーの、ちゅう話ですので、うん、そういうことです。

そして今度はそれが辛い所になるのでしょう。

でもそこを楽しめればきっと大丈夫なのでしょう。