FC2ブログ
劇団献身主宰の奥村徹也のブログ。愛想を振りまくtwitterと違い、1日平均アクセス数3の当ブログでは好きなこと、書きづらいことをたくさん書きます。右の猫がかわいい。
雑記
2012年01月22日 (日) | 編集 |
奥村です。

僕は一応演劇サークルに所属しているのでやっぱり付き合いとかで演劇をよく観ます。
大体面白くないのですがよく抱く感想としては

「難しいなあ」

ということです。

なぜここで急に叫ぶのか
泣くのか
走り出すのか
踊りだすのか
セリフの意味とか
身体性とか

いろいろ大体わからないです。
わけがわからないのです。

しかもそれが「わけがわからない面白さ」ではない。
本当にわけがわからない。なぜシリアスなシーンで、裸でバナナを咥えてブリッヂするのか、僕にはどうしてもわからない。

なぜか、と少し考えて

きっとこういった表現方法が僕にとって手段でしかないからなのだなあ、という結論に至りました。

別に新しい表現方法を模索したいわけでなく

ただ「笑い」がとりたくて

その手段として、裸でブリッヂ、ならアリなんだけど

裸でブリッヂ自体を目的にはできないのです。


だから、そういう表現方法を模索する人はすごいなあと思います。

でも、表現方法が目的になりすぎてるんじゃないかなあ、と思うときもあります。

「笑い」や「感動」のために必死に表現方法を模索するというよりは、なんというか奇抜ありき、というか「わからなくてもよい、もしくはわかって当然」という一歩間違えたら自己満足でしかないものなんじゃないか、と思うわけです。

映画を語る人とか、音楽のバックグラウンドについて語る人とかも僕は苦手で、

ビートルズを何もわかっちゃいない、とか
あの曲は歌い手のこういった歴史を知らないと絶対共感できない、とか

うるせえ

と思います。


もちろんそういう楽しみも有りだけど

それはなんというか、違う。評論家でない、ただの客としての視点が無い。まずはそれありきじゃん。で、大半の人がそれ以上深読みしないのも当然。

「なんとなく、いい」

その感想で十分だと思います。
そこをぎゃあぎゃあ言う人は、よくわからない芝居を作る人と同じで、目的を見失ってる気がする。

どちらも、客のために作っているのじゃないのか?
そこに届けるための方法で、そのための思い、それを読み取るのが目的でないはずであって、届けるのが目的であって、届いて多くの人が聞いて、とりあえずそれでよくて


まとめますと

「押しつけがましいのは、嫌い」ということでしょうか。

「この表現を理解しろおおお、深く理解しろ、深く深く理解しろ!」

そういうスタンスのお芝居とか、音楽好きな人とかは嫌い。

逆によくわかんなくても

「わからなくてもいい。感じたままでいい」という、観る側にある程度「余地」を残した演劇なり作品は観ていて気持ちいい。考えたくなる。

考えたくなって、考える。そこに衝動がなくて、「考えなきゃいけない」と思わせる作品は苦手です。


面白い、と思うから考えたいって思う。そこをゆだねてあげてほしいです。

なんとなくそんなことを最近思います。


……何一つまとまってないなあ。
スポンサーサイト