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劇団献身主宰の奥村徹也のブログ。愛想を振りまくtwitterと違い、1日平均アクセス数3の当ブログでは好きなこと、書きづらいことをたくさん書きます。右の猫がかわいい。
謹賀新年。コントな年越し。
2019年01月01日 (火) | 編集 |
明けましておめでとうございます。奥村です。
本年も何卒よろしくお願いします。

さてさて、帰省の話をしましょう。
年末年始は一応毎年、実家に帰ります。
そんで酒飲んでだらだらして、ほどよいところで東京に戻る、というのが通例でした。
上京してから約10年、ずっとそれを繰り返してきて、
だから別に心に響くこともなし、まんねりとした帰省を重ねてきたのです。

ただ、今年はちょっと違った。
やけに、コントでした。

コントってのは、大抵が日常を面白おかしく切り取ったもの、
あるいは日常Aと日常Bの思いがけない組み合わせによる化学反応、
みたいなものが9割を占めると思います。
そういった意味で言えば、何気ない日々にコントが大量に隠されているわけです。
ただ、なかなか気づくことはない。
なんとなく「面白いなぁ」とは思っても「あぁ、コントだなぁ」まで、普段は考えが及ばないわけです。

じゃあ逆に、気づく時ってのはどんな時なんだってなったら、
”現実がクソみたいな時”ってのが、圧倒的に僕は多いです。

クソみたいな現実をなんとかしたくて、
必死で面白い部分を見つけ出して、
コントのようにそれを眺め、
どうにかこうにか、やりすごす。

どうしようもなく息苦しい生活の中で、
引きつっていたとしても、笑顔で生きていくための、
自分なりの処世術でした。

たとえば、僕は大学を卒業してすぐ、1年半だけサラリーマンをやっていました。
その時は、世界がコント色に輝いて見えたのをよく覚えています。
コントというメガネをかけてサバイブしたのです。
具体的にどう辛かったか、それは今回のブログの(なぜか先延ばしにしてしまっている)本題からは大きく離れるため、
深くは触れません。

とにかく、死にたくなるような時間を過ごしていると、
それとバランスをとるかのように、
世界が随分とコントに見えるということです。
コントというメガネが、気づけばポケットの中に入っているのです。

この処世術が、今の脚本家という職業に活きているかどうか、そんなことはわからないし、どうでもいい。
そんなことを話したいわけでない。
本題について、そこまで「話したいぜ!」というモチベーションもないわけだけど。


長々書いてきたが、この年末年始、
僕は岐阜の片田舎にある実家で、コントのような2日間を過ごした。
それについて、書いていこうと思う。

長くなるかもしれない。
めちゃくちゃ短いかもしれない。
それは、わからない。

でも、とにかく書くしか自分にはできないから、書く。
「うるせぇから早く本題に行けよ」
「物語の最初のシーンで、どんな話かわからないといけないんだよ。その点でこの記事は終わってる」
そんな書き物におけるマニュアルはどうでもいい。
書きたい気持ちと、書きたくない気持ち、
その葛藤が、ここまでの無駄に長い数十行に現れている。

これから書くのは物語ではない、
日常に潜んでいたコントな30時間くらいの話だ。



実家の犬が死んだ。
2019年1月1日の話だ。


”実家の犬”だなんて、妙に距離感のある書き方をしたのは勿論照れ隠し、
というかいろんな感情を隠すためだろう。
死ぬ間際も僕は心の中で「犬! 犬!」と叫んでいた。
これがまず、コントだろう。
12年一緒にいた。
その犬に対して、「犬」と呼ぶのはコントだ。

でも、ほぼ全てのコントがそうなんだけど、
当の本人は至って真剣だ。
取り乱さないよう、震える唇をキュッと結んで「犬」と叫ぶ。
それだけで、意外と冷静になれたりする。


時間は前後する。
「時間軸を守れ。もしイジるなら、イジるだけの根拠を用意しろ」
だから、そんな脚本を書くためのマニュアルはいらないのだ。

なまじ脚本を書いてきて、
そのテンプレートがこのブログを書いている今も、ガタガタ騒ぐ。

「そもそも敬体と常体が混じっているじゃないか」
だからそんなのもどうでもいいんですよ。

上記のような、
”自分の中のもう一人の自分が問いかけてくる”だって、
これはもう王道のコントだ。やり尽くされたコントだ。

”財布を拾った男の、心の中の天使と悪魔が出てきて、戦う”
そんな、擦りすぎて真っ黒になったコントみたいじゃないか。

それでも、僕は真剣だ。

時間軸なんか気にしても意味がない。
とにかく今、溢れてくる思考をPCに叩きつける。
この行為に意味はないけど、意味はないから、
細かいことを考えるな。もう一人の自分。


さて、僕が地元・岐阜にたどり着いたのは12月30日の夜20時だ。
普段は夜行バスに乗る。
新幹線と在来線を乗り継ぐよりも安いし、自分の家の隣町まで直通のバスが新宿から出ているからだ。
時間も電車だと4時間、バスでも6時間、さほど変わらない。
だったら、寝て帰った方が気楽でいい。

特にこの年末は強く思った。

新幹線にしたのは、直前まで帰省スケジュールが決まらず、
夜行バスのチケットを取り逃がしたためだ。

久しぶりの東京駅。
まず、切符売り場に辿り着けない。
北の方に行く新幹線が車両点検とかで、
改札の外まで人が溢れていた。

僕は、西の方に行く新幹線だったので問題ないはずだが、
その、外まで溢れた人のせいで前に進めない。
切符を買うところに辿り着けない。
西の方に行きたいのに、北の方に行く新幹線の煽りをモロに喰らった。


僕は、東京において移動の9割以上を自転車で済ませる。
だから「改札の外まで人が溢れていた」なんてのは、よく聞く話であれど、
上京して10年、巻き込まれたのはこれが始めてだ。
前に進むこともできない。
相当グイグイいかないと前に進めない。
でも、グイグイなんかしたくない。電車ごときでグイグイしたくない。

とそこへ、
中学の頃よく見たような妙に襟足が長い髪型、白いジャージ(背中にはもちろん龍)といった格好の男が、
グッチのキャリー片手に、グイグイ人波をかき分けて進むのを発見した。
僕はすぐさま、その襟足の後ろについた。
襟足はグイグイ進む。
だから、その後ろにピッタリとついた僕も、当然グイグイ進めた。
しかも僕はノーダメージだ。こりゃ楽でいい。
東京の雑踏を歩く時、大抵僕はこの方法を使う。

「もしや、、」
ふと思いつき、振り返ると、
同様に僕の後ろにぴったり付いてくる者がいた。
そのうしろにもまた。
軽めのドラクエ状態になっていた。
軽めのドラクエ状態で、僕たちは東海道新幹線切符売り場を目指し、
グイグイグイグイ進んだのだ。

間違いなく、コントな光景だった。


ようやくたどり着いた切符売り場は、およそ10箇所あった。
新幹線に乗ること自体、結構久しぶりだ。
ゴジゲンのツアー公演の際に乗ることはあるが、あれはプロデューサーに切符を事前に取ってもらっている。
自分で買うのは何年振りだろう。
無事買えるだろうか。

だけど、悠長に構えているわけにもいかない。
この時点で時刻は16時半。
この日は20時から、地元の友人たちとの忘年会を予定していた。

大学進学を機に地元を離れた自分にとって、
今でも付き合いのある地元の友人というのは、
片手で足りるくらいだ。
だから、この忘年会でその友人たちと会ったら、他にもう予定は何もない。
家族と過ごす以外は何も。

寂しい帰省にしたくはない。
1つくらい、予定が欲しい。
だから自分はガムシャラに、20時までに帰らなければならない。

順調に電車を乗り継いでも、向こうへの到着は20時ぎりぎりになるだろう。
ここから、ミスは最小限でいきたい。
そんなぎりぎりになるまでお前は一体何をしていたんだ、そう聞かれたら「だらだらしていた」としか、答えようがない。

さぁ、切符売り場だ。


、、、そろそろ違和感を感じてる人も多いと思う。
このブログ、以上に長々書いている。
間違いなくこれは、”実家の犬が死んだ話”が主な記事だ。
なのに、まだ東京駅から出られていない。

でも仕方ない。
今回だけは、自分のために書いている。
5年後、10年後、自分で記事を読み返した時に、
なるべく鮮明に思い出せるように、書いているのだ。
思い出したいのだ、これから先もずっと。この帰省を。



さぁさぁ切符売り場。
ふらっと買ってふらっと乗ろうと思っていた。

指定席は完売だ。年の瀬だから当たり前。それくらいは自分でもわかる。
切符が買える機械みたいなのが10箇所あった。
人々が、思い思いの列に並んでいて、10列いずれも随分長い。

僕はこの並び方が嫌いだ。
なぜフォーク並びにならないのか。
フォーク並びならば、全員が受けるストレスは均等だ。
だのに、こんな10列も作ってしまったら、、、


いい加減にしよう。
長々書いている間に、夕飯に呼ばれてしまい、今食べてきて、
このブログを読んでみたら、やはり長い。
たとえ思い返したいという気持ちはあれど、
いやむしろ、本当に今の気持ちを数年後に思い出したいなら、
最低限読みたいと思う文章を書くべきだ。

だらだらだらだら、体のいい言い訳を見つけたと思って、書きなぐるべきではない。


それで、なんとか渋滞に巻き込まれつつも、
切符を買い、16時50分の”のぞみ”に乗った。

本当は16時40分発もあったが、あまりにもすし詰めで、
名古屋駅までの約100分間、耐えられる自信がなかった。
だから、それはやり過ごした。
16時50分の電車も、別に座れたわけではなかった。
もう1本待てば、次は17時10分か、、確実に座れそうだ、

そんな状況で、それでも僕は待たずに乗り込んだ。
16時50分発の時点で、すでに忘年会へは若干の遅刻が確定しているわけだが、次を待てば”かなりの遅刻”になってしまう。それは避けたいじゃん。大人として。
ただでさえ、東京で演劇だなんて、なんとも怪しいことを生業としている。
時間を守らないとか、ゴミをポイ捨てしたとか、その程度で”あいつはやっぱりいい加減なやつだ”と思われてしまう。

だから乗った。
幸い、1本前より混み合っていなかった。
デッキというのか、あの車両と車両のつなぎ目のあたりで、数人が立っていた。
僕は真っ先に地べたに座った。
座っても問題なさそうな混み具合だったし、ならば座るさ。恥は掻き捨て。
すると、デッキにいた他の人たちも座りだした。
最終的には全員座った。
彼らもきっと、きっかけを欲しがっていただけだったのだ。
赤信号、みんなで渡れば怖くない。デッキはスラム街のような有様となった。

名古屋まではおよそ90分。
18時半頃に到着した。
しかし、僕は岐阜なのでここからさらに一時間以上、電車を乗り継ぐことになる。
これが一番嫌だ。だるいじゃないか。

東京→名古屋→岐阜
と僻地へ行くに従って、徐々に乗客に品がなくなってくるのがわかるのも、なんだか辛い。
3年前、岐阜で電車に乗ったら、つり革で懸垂してる奴がいた。最悪だな、と思ったら中学の同級生だった。
なんてことがあった。そんなことはざらにある。

そんな、グラデーション的になくなっていく品を、今回もまざまざと感じながら、電車に揺られる。
最寄駅に着くのは、ちょうど20時だった。
直接向かえば、忘年会には若干の遅刻で済みそうだ。

だが、直接会場に向かっていいものかどうか、僕は少し悩んだ。
懸念していることが、一つあった。
うちの犬についてである。

この2日前、つまりは12月28日、
母からラインがあった。
「テツ、ゴロが腎不全で体調が悪いんだ。
でも、まだ頑張ってるのはテツをまってるのかもしれない!」

テツというのは、僕。
ゴロ、というのはうちの犬の名前だ。
ゴロという名前には諸説ある。

僕はゴローと呼んでいる。
母はゴロと呼ぶ。
父はゴロ用の皿などに必ず”吾郎”と書く。
名前が、わりと3パターンくらいある。
が、このブログ上ではゴロでいこうと思う。

ゴロは、ヨークシャテリアで12歳と半年。
2〜3年前から、尿路結石やら腎不全やらを患い、通院や手術を繰り返してきた。
僕は、この何年かで急激に老けていくゴロを見て「お、おぅ……」と、帰省するたびに少し戸惑っていた。

だが、そろそろダメらしい。犬の寿命的にも、12年半というのは、長生きでもないが、短命でもないだろう。
本当は、28日の夜行バスで帰るつもりだった。
だけど、チケットが取れず、新幹線で帰るのも憂鬱で、だらだらと帰省を先延ばしにしてしまった。

母からラインを受けた時点で、予感があった。
「すぐに帰らないと、ゴロの死に目に会えないかもしれない」
それなのに、億劫がって結局30日の帰省となった。
もし、これでゴロの死に目に会えなかったら、一生後悔するだろう。

だが、結局訃報は届いていない。
よかった、まだ生きているんだ。
そうなると、ここで一つまた迷う。

A.一度家に帰って、ゴロと会ってから、忘年会に向かう(1時間遅れ)。
B.駅から直接会場に向かう(15分遅れ)

先の理由から、忘年会への大幅な遅刻は避けたい気持ちがある。
だが、おそらく忘年会へ行けば深夜まで騒ぐだろう。終電を逃した自分は、友人の家に泊まるだろう(会場と僕の家は、随分と離れているのだ)。
そうなると、実家への到着は31日となる。

大丈夫かな、、
ゴロへの不安はあった。
でも、母親がゴロの病状に関して、大げさに言っているだけの可能性もある。病気自体は、随分前からかかっていたのだし。

生きるも死ぬも、全部でたらめだ。
正確なことなんて、何一つわからない。
だからこそ僕は、無知だバカだといった振りをして、飲みに行った。
そしてそのまま、朝まで騒いだ。
楽しかった。
僕がこうしてバカ騒ぎしている間にゴロが死んでしまったら、それはとんでもない悲劇だな、と思った。
シンプルで、わかりやすい、欠落が招いた悲劇。

だけど、何度でも言うが、これはコントな話なのだ。


12月31日朝10時

友人宅にて僕は目を覚ました。
だらだらと漫画を読んだりして、それが30分くらい。
「昼ごはんでも食べに行くかぁ」そんなだる〜い会話をしながら、上着を着て外に出る。
と、母から再びラインが。

「ゴロの体調が風前のともし火です」

さすがに帰ることにした。
友人に送ってもらった。
母が、友人に「送ってくれてありがとう」とりんごとみかんを渡していた。
こんなもの、岐阜にはいくらだってあるんだから渡さなくてよいのに。

家の玄関を開ける。
ゴロはいた。
1年ぶりだ。
ぱっと見たときは、何も変わっていないように見えた。
じっと見たら、全然変わってしまっていることに気づいた。

激烈にやせていた。
背中を撫でるとゴツゴツしていた。
それは全部骨だった。

2週間ほど、ほとんど何も食べていないらしい。
何か食べても、吐いてしまうのだ。
だから痩せていく。どんどんどんどん。
失禁もしてしまうらしく、母がおむつを履かせていた。

ゴロは、へたりこむようにして、体を横にしていた。
いつも、僕が帰ってくるとバタバタと暴れ回るのに、
この日は、何のリアクションも見せず、静かに横になっていた。

ゴロは、ゆっくり生きていた。
1メートルくらい歩いてまた休み、1メートルくらい倒れて、また休み、
前足後ろ足どっちも冷たくて、毛布にくるんでやった。
するとゴロはうざそうに、毛布から抜け出し、またヘタリ込む。そこに僕は毛布をかける。また抜け出す。かける。

これを夕飯までの5時間ほど、延々繰り返した。
なかなかに不条理なコントである。
でも、僕は真剣だ。
この処置が正しいのかどうかはわからなかったけど、
とにかく温めたかった。
なんとなく、「もうすぐ死ぬな」というのが、肌感覚でわかった。
だから、このコントを続けた。

この先、いくつもコントが重なるわけだが、その序章といったところだ。

僕の仕事の都合で、この年末年始でドラマ「グッドラック」を全話観る必要があった。
だから、僕はゴロの命を心配しつつも、その横ではずっと「グッドラック」を流していた。
1匹の犬の命の火が消えそうなすぐ横で、
キムタクが「ぶっちゃけ〜」などと超言っていた。

なんとつっこめばいいかわからない、
シュールなコントだ。

次第にゴロの体が小刻みに痙攣を始めた。
夕方になった頃、ゴロは昼に比べ一層、圧倒的に衰弱していた。
たまに水を飲ませるが、吐いてしまう。
それも、黒い何かを吐き出す。吐瀉物からはかなりきつい、内臓の匂いがした。

17時頃、ゴロはほとんど歩けなくなっていた。
そのなかで、なんとか力を振り絞って歩いたことが一度だけあった。
僕は、それを止めては行けないと思った。
無理してでも歩きたいなら、歩いた方がいいんだと思った。
止める代わりに、カメラを回した。
ゴロが歩く最後の姿を、このケータイに残してあげたい。
よぼよぼと歩くゴロ。
と、履いていたおむつがずるずる下がってきて、落ちた。
僕のカメラには、なんとも言えずだらしない、”ケツを徐々に出していくゴロ”の映像が残っている(音声の面では、グッドラックのラスト際が大音量で流れている。)
コントであった。

それからは、毛布にくるんでゴロを胸で抱くようにした。
すると色々思い出した。
ゴロが来たのは、僕がたしか高2の頃か。
ペットショップで一番安かったのがゴロだった、と両親がよく言っていた。
実際、来た頃からゴロはまぁまぁ大きかったし、顔もなんだかブサイクだったし、もしかしたらペットショップクビ寸前だったかもしれない。
ヨークシャテリアなのに、33,000円で売ってたらしい。


テレビでは紅白が始まっていた。
本当は「ガキ使」が観たかったが、ゴロのことや自分の心境とマッチしなさすぎる気がして、紅白を観ながら、さらに思いを巡らせた。


来たばかりの頃のゴロはとにかく臆病だった。
自分の知らない人が来ると、ビビってシッコを漏らすし、
僕がふざけ半分で、何か棒で脅した時にはがっつりうんこを漏らした。
散歩も嫌がった。知らない場所が怖いのだ。
毎日、数メートルずつニオイをつけたり、安全であることを確認する日々。
満足に散歩ができるようになったのは、1年後か2年後だったように思う。
線路沿いを歩いていたら、電車が来て驚いて爆速で逃げて、そのまま失踪したこともあった(後日見つかったからよかったが)

上京してからも、帰省の度にゴロの散歩をしてやった。
ゴロは、犬独特な獣臭がして、それは普通に”臭いな”と思ったけど、
顔もブサイクだけど、
それでもかわいかった。だから、かわいがった。


そんな思い出のような、思い出でもないような、ことを
持て余した時間の中でぽつりぽつりと思い出した。
ゴロはその間もゲボリゲボリと吐いていた。
両親も、おせちを作ったり大掃除したり、忙しなくしながらもゴロを気遣っている。

紅白も中盤、中間投票をしている頃には、
ゴロは完全に歩けなくなっていた。
歩く意思はあるのだが、細りきった足が、これ以上体を支えられなくなっていたのだ。
限界は、近い。

母が、気を利かせ、ゴロの目元にたまっていた目やにを取ってあげた。
動物の目やには溜まりやすいし、固まってしまう。
だからハサミで、毛ごとカッティングしてあげた。
「すっきりしたね〜、よかったね〜」と母と二人、ゴロに語りかけたが、
父から「死に化粧じゃねぇか」と痛烈なツッコミが入った。

そこからはもう何をやってもコントになった。
水を飲ませよう母に「水とってきて」と頼むと母は「死に水ね」と返して来た。
そんな感じで、ブラックコントの応酬が続いた。
タチが悪いのは全員、真剣だということ。
だから、僕も「コントかな?」とおかしくなることはあれど、それでヘラヘラするわけにはいかない。
チャンネルは紅白だったけど、こちらの空気は完全に”笑ってはいけない”の方だった。


いつ死ぬか、もう死ぬか、最後は見とってやりたい、
そんな気持ちで両親と3人、ゴロを囲む。
やがて紅白も終わり、年もまたいだ。
とても「あけましておめでとう」なんて言える空気でもない。
それでも「ゴロ、年またいだね。すごいね」などと語りかける。
何がすごいのか、そんなの僕らにだって、とっくにわかっちゃいない。

0時15分頃だったか、ゴロがまた吐いた。
そして、目を大きく見開いた。俗に言う”瞳孔が開く”ってやつだろう。
その目は冷たく、怖く、少しだけ苦しそうに見えた。
これが死、今から死ぬ、、12年家族だった犬が、、、
僕ら3人はゴロを撫でて「ありがとう」と何度も言った。
僕は指の先で、ゴロのきっと小さな心臓を感じ取っていた。
鼓動が弱くなっていく。
弱々しく、消え入りそうだ。
涙が溢れて来た。
無理して堪えることもなく、僕は泣いた。
テレビでは、さだまさしが熱唱している。

この状況での、さだまさし。
コントだ、これはコントだ。
そう自分に言い聞かせることで、なんとか落ち着きを取り戻す。

そして、そのまま、


30分が経過した。


ゴロは生きていた。
弱々しく打っていた鼓動は、なんとなく回復したような感じがした。
ゴロも目の色に生気が戻り、ちょっと歩いてみようかな、みたいな感じで上半身を起こそうとしたり、、

あの時の、僕ら3人を取り巻く妙な空気は忘れようもない。

間違いなく、絶対に、生きていてくれた方が嬉しいはずなんだが、
なんというか「泣きながら感謝を伝えたあの時間は何だったのか」感がどうにもまとわりついていた。
コントであった。


ともあれ、まだ生きてる。よかった、本当に。

すると、次なる問題が浮上して来る。
「どのタイミングで風呂に入るか」である。
僕ら3人は、まだ誰も風呂に入っていない。
さすがにそろそろ入りたい。だが、今入ると、なんとなく「自分が風呂に入っている最中に死ぬ」気がする。
そりゃまずい。かなり悔しい。
僕だって今日、ほとんど一日中介抱してたんだ。死に際には、一緒にいたい。

「風呂に入るか否か」
僕はこれまでに、風呂に関してここまで葛藤したことはなかった。
初体験的葛藤に苦しむ。
だが、今かもしれない。
また、おそらく山場が来るが、今はゴロも落ち着いている。
入るなら、きっと早い方がいい。

というわけで風呂に入った。
一人暮らしの小さな風呂と違って、浴槽がでかい。
「悠々足が伸ばせるぜ!」なんつう感じでざっぱぁんと湯船に飛び込んだ瞬間

「ゴローーー!!!」
という母の叫び声。
コントだ!!

慌ててリビングに戻る。
どうやらゴロが今までになく、痙攣をしたらしい。
今度こそだめか、、
そう思って5分くらい見ていたが、なんかまた落ち着いて来たので、再び風呂に入って、頭洗って、さっぱりして、体拭いて戻って来たら、ゴロはやっぱり生きていた。コントだ。

本当に不謹慎なんだけど
「こいつ、なかなか死なないな」と思った。典型的なコントである。


超長くなってるんだけど、もうすぐ終わるから、
終わりたくないけど終わるから、だからよかったらもう少しだけ読んでほしい。
明らかに序盤が冗長だったが、それはもう仕方ない。
続ける。


深夜3時。
明日もあるし、寝なければならない。
母が「あたしは朝まで起きてるから、二人はもう寝て」と言った。
ほぼオール明けだったのもあり、僕は眠かった。そして、ゴロはしぶとい。
かなり悩みはしたが、自分が起きてると母も父も気を使って休まらないだろう、と思い、先に寝室へ行った。

が、寝室がとびきり寒かったため、毛布をもう1枚もらえないかと思い、僕は再び戻って来た。
そしたら、母がぐぅぐぅ寝ていた。コントであった。

母を一度叩き起こしてから、再び寝室へ。
昔、自分の部屋として使っていた部屋はもう残っていないから、父と一緒に寝た。
僕は冷え性なので、部屋が寒すぎて、足が冷えすぎて、全然眠れなかった。
あとからやってきた父は、足を出しながらすぐにぐぅぐぅ寝入った。
同じ血が流れているようには思えなかった。

朝8時30分
起きるとゴロはまだ生きていた。
昨日より一層弱っているが、もう起き上がることすらできないでいるが、それでも、生きていた。

父と母は、買い物やら新年の用事を済ませに出かけた。
ゴロのことも心配だが、昼には親戚も大挙してうちに集まる。
準備はしなければならない。
僕は一人で、やはり”グッドラック”を観ながら、ゴロを撫で続けた。

ゴロは、やはり何度か吐いた。
匂いは、昨日よりもきつくなっているように感じた。
併せて、吐瀉物の中に血が混じるようになった。
いよいよダメなんだというのがわかる。
だけど、体を痙攣させている今この瞬間、ゴロが苦しみを感じているのかどうか、それはわからなかった。
きっと苦しんでいたんだろうけど、僕の願望で、苦しくないといいなと思っていたから、よくわからなくなっていた。
ゴロの目は、生気がなく、白く濁っているように、僕には見えた。

11時半、両親が帰って来た。
ゴロはまだ生きてる。
続けて、昨日の昼からずっと外に遊びに出ていた弟が帰って来た。
ゴロはまだ生きてる。

僕は4人兄弟だ。
姉と兄と弟がいる。


弟はまたすぐシャワーを浴びたら、出かけるらしい。
母は、鰹節を買い忘れたから買いに行くと言って出て行った。が、「ケータイ忘れた」と言って戻ってきた。
その時、ゴロがまた吐いた。いつもよりちょっとだけ量が多かった。匂いはこれまでで一番きつかったし、真っ黒な吐瀉物だった。危険な感じがした。
ゴロの瞳孔がググッと開き、大きく数度痙攣、舌がだらしなく垂れた。
動かなくなるゴロ。
「あ、死んだ」と思った。
心臓を触る。動いていない、気がする。

弟も含めて、今度は4人でゴロを撫でる。
死んだ、もう死んだ、深く考えることなく、その上部の事実だけで涙が止まらなかった。

が、ゴロの体がわずかに痙攣した。
慌てて心臓を触る。
トクン、トクンと鼓動していた。

再びみんなで呼びかける。
ゴロの心臓は、途中指先では鼓動が感じられないくらい弱くなり、それでもまた脈を打ち、舌を垂らし瞳孔開いたまま、5分間耐えた。

僕は「昔、こんなコント作ったことあるなぁ」と思っていた。心臓が止まっては動き出しを繰り返すコント。
何かに思いを馳せないと、吹っ飛ばされそうだった。
だから僕は、必死に「コント、これはコント」と心で叫んだ。
テレビからはやはりグッドラック、第6話。

「あけましておめでとう!!」とやってきたのは、兄と奥さんと二人の子供。
最悪のタイミングだが、最高のタイミングでもある。
ゴロはもうすぐ死ぬ。
今度は8人に囲まれて、ゴロは、もう死ぬ。
これは、なんのコントだろう。

事前の連絡だと姉夫婦も、来る時間だった。
だが、ケータイを確認すると、「30分くらい遅れちゃう」とのことだった。
家族全員揃うことはなかった。
なんともコントだったし、これだけは鳥肌が立つほどリアルだった。

そうしてゴロは、今はもう母と弟しか住んでいないこの家で、
8人の家族に囲まれて、死んだ。

今、客間にダンボールとタオルで拵えた棺があり、そこで眠っている。
近所のデパートで買ってきた花を手向け、手を合わせた。
涙は出たけど、何かポエジーなものが生まれたわけじゃない。

シンプルに「死んだ」という事実を真正面から受け止めたのは、
人生で初めてだったように思う。


長くなった。
ここまで長くなったからには、結びの文やエピローグ的な綴りが不可欠だ。
でも、それはこれからきっと書いていく脚本や物語で綴れば良い。

今は何も書けない。
書きたくない。
今の気持ちを整理したくて書いたけど、結局整理できなかった。

だから、このまま終わってみようと思う。

自分史上最も辛くショッキングな年明けになった。
今年も沢山脚本を書いていく。

脚本を書くことは、大抵の場合、自分と向き合うということだ。
だから、今のまとまらない気持ちを絶対に具体的に文字に起こす時が来る。

だから、今この長々とした文章を結ばない。
1年かけて、しっかり結んで行こうと思う。


僕はこんなスタートを切りました。
でも、今年も面白いこといっぱいやっていくつもりです。


本年もよろしくお願いします!




ありがとう!!!

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